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東京高等裁判所 昭和52年(う)932号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中背任の点について、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人松田敏明提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は東京高等検察庁検察官検事村上尚文の提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一1  弁護人の控訴趣意一及び二の(一)について。

論旨は要するに、原判示第一の二の背任の事実について、当時三協資材興業には独自の預金口座がなかつたため、被告人は集金の便宜上早見建設工業株式会社代表取締役早見進に依頼し、被告人名義の普通預金口座に振込入金させたに過ぎないから、被告人には自己の利益を図る目的はなかつたのに、原判決が被告人に自己の利益を図る目的があつたと認定したのは事実誤認であり、またこのように集金先から被告人名義の預金口座に振込入金されただけでは、水村に財産上の損害が発生したとは解されないから、原判決が右振込入金の事実をもつて水村の債権の回収を困難にし、背任罪における財産上の損害を加えたと判断して背任罪の既遂の成立を認めたのは刑法二四七条の適用を誤つたものであるというのである。

そこで検討すると、記録によれば本件背任罪の訴因は、原審第三回公判期日において、起訴状記載の業務上横領の訴因を変更して主張されるに至つたもので、その内容は、「被告人は水村敏雄に雇われ、建築骨材の仕入、販売及び取引先からの集金等の業務に従事していたものであるが、昭和五〇年五月二三日ころ、右水村の取引先である早見建築工業株式会社(代表取締役早見進)に対する右水村の売掛金一二万円を集金するあたり、同会社から右水村の銀行預金口座に振込入金させるか、自ら集金した現金又は小切手を直ちに右水村に納入する方法により誠実に集金業務を実行しなければならない義務があるのに、その任務に背き、自己の利益を図る目的で、同日、ほしいままに前記早見進に指示して、同人をして東京都杉並区浜田山三丁目二四番地所在の第一勧業銀行浜田山支店に額面一二万円の小切手一通を持参させて同支店から同額を同都青梅市所在株式会社埼玉銀行東青梅支店の被告人名義の普通預金口座に振込入金させ、もつて右水村に対し一二万円相当の財産上の損害を加えた」というものであり、原判示第一の二の事実認定はほぼ右変更後の訴因と同旨と解され、なお右入金により右水村の前記債権の回収を困難にさせて同人に財産上の損害を加えたものであると判示している。

ところで、原判示第一の二の関係証拠を総合すると、本件の経緯は三協資材興業を経営する水村敏雄に雇われ、集金等の業務を担当していた被告人が、水村の取引先の早見建設工業株式会社代表取締役早見進に対し、売掛金一二万円を請求するにあたり、みずから集金に赴く代りに埼玉銀行東青梅支店の被告人名義の普通預金口座に振込送金するよう電話で依頼し、これに応じた早見進が昭和五〇年五月二三日第一勧業銀行浜田山支店を通じて一二万円を前記被告人名義の普通預金口座に振込送金したが、たまたま銀行からの通知により水村が右振込の事実を知つたため、その日のうちに右一二万円は水村に納入さたものであると認められ、原判決の認定した事実も右とほぼ同旨と解されるのである。

そこでまず、原判決の挙示する関係証拠を総合すると、被告人が早見進に振込送金を依頼した際、後日振り込まれた金員を水村に交付しないで領得しようとの意思があつたことが認められ、したがつて被告人に自己の利益を図る目的があつた旨の原判決の認定について所論のような事実誤認があるとは認められない。

つぎに、背任罪における財産上の損害は、経済的な損害の有無を客観的見地から評価して決すべきものであり、本件において、早見進が一二万円を被告人の預金口座に振り込んだことにより、水村の早見に対する売掛金債権が消滅するに至つたことはいえ、それは債務の弁済により債権が回収された結果にほかならず、しかも右売掛金は、水村の集金人である被告人が普通預金口座に入金して占有保管中のものである以上、たとえ被告人が後日これを領得する意思であつたとしても、なお被告人にはこれを右水村に交付すべき義務があるから、本人たる右水村にとつて債権の回収が客観的にみてより困難ないし不確実な状態になつたとは考えられず、このように債務者の弁済した金員が、、背信的な集金人の占有下に入つたというだけでは背任罪における財産上の損害またはその危険が生じたとはいえないのである。この点についての論旨は理由がある。

2  そしてさらに職権により判断すると、原判決は、被告人には集金した現金等をただちに原判示の水村敏雄に引渡す方法により、誠実に集金業務を実行すべき義務があるのに、右のように早見進に指示して自己の預金口座に振込ませて右任務に背いた旨認定しているが、本件全証拠によつても被告人が右現金を自己の預金口座に振り込ませた行為が直ちに誠実に集金業務を実行しなかつたものとして任務に背いた行為であると断定することはできない。この点についての原判示は事実を誤認したものという外はない。

3  そうすると、右事実について背任罪またはその未遂罪は成立しないと解すべく、背任罪の成立を認めた原判決は事実を誤認し刑法二四七条の解釈適用を誤つたもので、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。〈以下、省略〉

(環直弥 斉藤昭 小泉祐康)

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